商標。
商標法という法律には回りくどい定義がありますが(笑)、ざっくり言うと、商標とは「商品・サービスのネーミングやマーク」がそのほとんどだと、言って良いと思います。
これらのネーミングやマークの可能性は無限です。
人間が考えれば考えるだけ、星の数のごとく生み出されます。
世の中のいろいろな商標を目にするのは、楽しくて、ワクワクしませんか?
学問的には、「商標は、創作物ではなく選択物である。」とよく言われます。
しかし、私はこの文言が好きではありません。
商標となるネーミングの考案は、それが斬新なものになればなるほどクリエイティブな作業と言えるのは間違いありません。ロゴマークの制作も同様です。
ですから、商標を生み出すことは、立派な「創作的行為」であると私は思っています。
そして、このように生み出されるネーミングやマークの「商標」には、一般的な創作物と同様に、必ず「生み出す者の想い」が込められていると私は考えています。
そのため、私は商標を目にすると、「この商標には、どのような想いが込められているのだろう?」とか、「どんなふうに考え出されたのだろう?」と、自然と考えることが多いです。これがまた、想像力が掻き立てられて面白いのです。
このように、私にとって「商標」とは、非常に楽しく、面白いものです。
そんな商標に毎日かかわれて、クライアントにも喜んでもらえる「弁理士」という仕事は、なんて素晴らしいのだろうとつくづく思います。そのような気持ちで商標弁理士としてのスタートを切ってからは、キラキラとした充実の日々が始まったと言っても過言ではありません。
それから、いつのまにか随分と月日が流れました。
今年の夏で、弁理士(商標弁理士)になってから17年目を迎えます。
今でも商標が大好きですし、商標の仕事に誇りをもって、クライアントの利益のために誠実に取り組んでいるのは変わらないと思っています。クライアントの皆様が、生み出した商標に込めた想いをも大切にして仕事をすることを、ずっとモットーにしています。
ただ、最近ふと気付いたことがありました。
それは、
今も、あの頃のように商標を愉しんでいるか?
商標の仕事を、毎日愉しんでいるか?
ということです。
商標弁理士になってスタートを切ったばかりの頃、私は間違いなく「商標を愉しみ、商標の仕事を愉しんでいた」と思います。しかし、次第に仕事にも慣れ、忙しくなることも増え、歳を取るにつれて考えなければならないことなども増えた結果、いつのまにか、そんな余裕を失くしてしまっていたのではないか。そんなふうに思ったのです。
特に、独立してからは、経営的なことを始め、やるべきことや考えなければならないことが多くありましたので、「愉しむ」という意識すら影を潜めていたように思います。さらに、ここ4~5年は、個人的にも悲しい出来事が多く、商標に限らず「何かを愉しむ」こと自体がほとんどなかったように思います。そして、コロナ禍が追い打ちをかけました。
これに気付いた時、私ははっとしました。
好きだけど、愉しんではいないかもしれない・・・。
とても大切なことを、いつの間にか忘れていたかもしれない・・・。
そんな気がしたのです。
具体的に、それの何が大切なのかははっきりとはわかりません。
ですが、商標弁理士として、決して忘れてはならない「心構え」のようなものではないかと感じるのです。
そういえば、私が独立のために勤務していた事務所を退職する際、尊敬する大先輩の所長先生から、
「商標の仕事を愉しむことを忘れないでね。」
という言葉をいただきました。
今思えば、先生は未来の私の姿を見事に予見されておられたのかもしれません。
ご自身の商標弁理士としての長い長いご経験から、直感されたのだと思います。
本当に有難いお言葉をいただいていたのに、不甲斐なくて申し訳ない限りです。
このような経緯で今回、本ブログを始めようという考えに至りました。
商標を愉しんでいた、あの頃を思い出せるように。
一度初心に戻って、商標に関するブログを書いてみたいと思いました。
そこから、大切なことを思い出せるだけでなく、さらに新しい何かが生まれるような気がしたのです。
なお、自分が「商標を愉しむ」ことができるようなネタを書いていこうと思っていますが、せっかくですので、商標や商標実務のことを知りたい方や、商標のことで何か悩みやお困りごとのある方のお役に立てるようなネタも書ければ良いなと考えています。
銘肌鏤骨(めいきるこつ)
ブログのタイトルにあるこの言葉には、「心に深く刻みつけて忘れないこと」という意味があります。今の私の心境にぴったりでしたので、採用した次第です。
というわけで、「商標を愉しむ 或る弁理士の銘肌鏤骨ブログ」、
これよりスタートです!!